【杉山先生】天職と座右の銘

 教育の分野を渡り歩くこと約30年。杉山先生に教育に携わる魅力やその価値観を伺いました。様々な視座から、教育とともに未来を切り拓いてきた杉山先生の魅力が垣間見えます。

 前編では一つひとつのお仕事柄とご経験談、後編ではその仕事観についてお届けします。

杉山剛士先生

1957年東京生まれ。東京大学教育学部教育学科卒業。同大学院教育学研究科修士課程修了。専攻は教育社会学。
埼玉県教育局文教政策室長、埼玉県立熊谷西高等学校長、埼玉県教育局高校教育指導課長、埼玉県立浦和高等学校長を経て、2019年4月より武蔵高等学校中学校校長に就任。

―卒業生が語る―学びの土壌 第10回(前編)より

――杉山先生ご自身が今までなさったお仕事はどのようなものでしょうか?

 (プロフィールにある通り)出たり入ったりにはなるんだけど、教員・行政・管理職がそれぞれ3分の1ずつやってきました。

教員時代

 最初の教員時代について、教育社会学は高校でいうところの「倫理社会」という区分になるんです。そこで採用試験に受かったんですけど、あった科目は全部やりました。つまり、現代社会から日本史世界史地理政経まで。こぼれ話なんだけど、倫理社会は教員の時は1回もやりませんでした。なぜかっていうと、割と進学校っていうのは倫理社会といった哲学を教えるという科目があるんだけど、あんまり進学しないようなタイプの学校では、倫理等の難しい科目ではないくて、現代社会っていう科目が中心なんですね。だから私も、現代社会とか政治経済とかを教えた経験が多いですね。3校行ったんですけど、どこの高校もみんな真面目にやっていたんですが、ちょっとやんちゃな子の多い学校が多かったんですね笑 そんな中でもみんな一生懸命やっていました。

行政時代

 そして、ひょんな事から行政のほうに来てくださいと声をかけてもらって、埼玉県庁や教育委員会に行きました。大きくいうと、一つは教育政策を作るポジションに結構いました。高校が少子化になってしまうので、学校の統廃合を扱うところであったりとか、埼玉県の5年後10年後の教育政策を作るであったりとか。埼玉県全体の総合政策を作るポジションをやりました。全体的には計画行政が多かった部分がありますね。

 高校教育指導課というところでは、具体的な教育の進め方について、例えば語学教育をどう進めるかだとか、社会の教育をどう進めるかということについて、指導監督するところとかね。あるいは教育長の秘書としてずいぶん長いことついて、一緒にいろんなことをやる。そんなことをしながら教育行政の時代は過ぎました。

管理職時代

 入れ替わりなんだね。校長になったり教頭になったり教育委員会に行ったり。行ったり来たりするんだけど、管理職とすると、具体的に言うと校長は2校。県の北部にある熊谷西高校と、南の方の浦和高校にいました。その前には浦和第一女子高の教頭もやったりして、女子校も共学もそれぞれみんな個性があってよかったですね。そんなふうにしてきたのが私のキャリアです。

――杉山先生にとって今までのお仕事はどのようなものでしたか?

 ポジションポジションで見える景色って違うと思うんだよね。例えば、現場の先生をやっていたときにはやっぱり日々その生徒といろんな話をしたり、保護者の方ともいろんな話をしたりであったりとか。簡単な話、現場的な目線っていうのはあるし、それはすごく大事なことだと思うんだよね。教育委員会に行くと、県全体の視野の広がりだとか、あるいは、国全体の視野の広がりだとか。もちろん校長や教頭は全体視点になってくるわけだよね。広く見て、ときにはぐっと絞って見ていく。キリンの首のように高いところから遠くを見渡すと同時に、アリンコのように小さなところまで見えるっていうね。収縮しながら、いろんなものを見ていくっていうのは、すごく大事なことだと思うし、いろんなものの見え方っていうのを自由自在に使えるっていうのは大きな力だと思うんですよね。

 教育とは何かって考えたときに、私は2つあると思っているんです。医者は人の病気を治すことがミッションだし、あるいは、建築する人は何かものを作るというのがミッションだし。いろんなミッションがあると思うんだけど、教育のミッションっていうのは、未来を作るっていうミッションなんだよね。現状を対処療法でこなしていくとかそうじゃなくて、未来に携わっている仕事だと思うんですよね。我々が預かっている生徒っていうのは、人間の格好をしているけど、未来そのものなんです。だから時々、自信の無い生徒にはウンと褒めるし、調子に乗ったやつはガツンとお前ダメだよって言ったりもするっていうのは、未来を作っているから。そういうものがあると、全然そういうことができるんだよね。教育とは何かって言うところで言うと、人の成長を預かっている仕事だと思うんだよね。学校では劣等生と思われた者がいい未来になったりするんだよね。逆に、学生の頃は真面目だった奴が、とんでもないことになっていたりもするんだけどね。そう考えたときに、人って成長するんだなって思うんですよね。その成長に携わることができたっていうのはすごく大きな喜びなんです。

――この仕事をしていて、どんなところが良かったなと思いますか?

 昔ちょっとやんちゃだったような生徒も、数年経って今はこうなりましたって言うふうに報告してくれたりすると、無条件に嬉しいんだよね。さらに言っちゃうと、「先生のおかげです、先生ありがとう!」って言われると、教師をやっていて本当によかったなって思いますね。私も不十分ながら、いろんな場面で先生ありがとうと伝えていただけたっていうのは、教師とすると一番の喜びだったなと思います。

 けど、これってなかなか在校中に言えないもんですよね。卒業とかそういう折に、先生ありがとうって言われたり、卒業してから数年後にあの時はこんなことがあって…とかって言う話を聞くだけでも嬉しいよね。進路が実現するとありがとうって言われることが多いよね。先生のおかげで大学に行けました、とか言ってくれるんですよね。良かったなって思いますよ。

 そんなことだけじゃなくて、今でも覚えていることで、ある生徒が、バイクは乗るはタバコは吸うはで色々と大変だったんだけれども、担任として私は3年間受け持つ中で、2年生の時に学校を辞めるって言うんで、最後に食堂に行って、「ご馳走するよ」って言ったら、黙って食べてるんだよね、私服で。退学届を取りに来るだけだったからさ。最後、(辞めることに)100%後悔ないかって聞いたら、1%後悔があるって言うんだよ。それならもう少し騙し騙しでやってみようって話をして、なんだかんだ言って卒業して。その時は感謝されなかったけど。最後に文集で卒業できたことが本当によかったと書いてあったんですね。私が数年後結婚したときに電話がかかってきたんだけど、「先生結婚するんだって?おめでとう」って言ってくれたんだよ。そういうことは嬉しいですよね。

 学問を教える中で、生徒に興味を与えて成長させるっていうのもすごくいいし、学問とは違った側面(部活など)から人を成長させる。両方あると思いますね。

――逆に、ツライなと感じた部分はあるのでしょうか?

 あのね、私、そんなにつらくないんですよ笑 本当は辛いんだけど、つまり、イヤだなって不満を抱かない所は、いろんな分野がある中で、ちょっと大げさだけど、天職というかね。個性はあると思うんだけど、その中で自分に合った仕事なのかもしれないと思いますね。

 孫とか子供がいてさ、「おしり探偵」っていうので、職業占いがあって。おじいちゃんお父さんもやりなさいよって言うからやったら、あなたに合った仕事は「先生」って出るもんで、みんなで大笑いしていました。やっぱりそうなのかなってふうに思うこともあってね。困難なことも苦しみにならないっていう部分もあるんです。「人生はたのくるしい」ものだと思います。苦しいことも楽しいものだし、楽しいものも実は苦しかったりする。苦楽はワンセットなんだよね。