【杉山先生】天職と座右の銘

――キャリアを始めた当初から、大きく変わったことはありますか?

 教師になるまでは大変だったんだよね。教師になかなかなれなくて、採用試験で受かったけど採用がなかったりとか。

 そういうときに自分で教師という道を志していたんだけれども、それが間違っていたのかなと自分で自分に説いたりして。親なんかにも、すごく言われてさ、自分の中でも揺らいだとき、先輩から誰がなんと言おうとNOと言うことも大事なんだよ、って言われて励まされたり。君の中にある何かやってみようと言う気持ちを大事にしてください、って大学の先生に言われたりとか。自分が逆境にあるときに、こうやってかけられた言葉が励みになった支えになる事がなければ、本当に教師になる道を諦めていたかもしれませんね。

 教師になってからも、先輩からガツガツと言われてボコボコにされたって言う記憶はないです。教えてもらった事はもちろんたくさんありますが、厳しく言われた事はありませんでしたね。

 先ほど、立場によって見える世界が違うと言う話をしましたね。現場にいるときは先生と生徒、保護者。さらにそれが県全体とかになってくると登場人物が増えてくるんですよね。立場だとか、多様なポジションになるんですよね。面白いぐらいみんな違うんですよ。教育の世界に入ると、教育という分野に対してみんな一言持ってるんですよ。教育はこうあるべしとか。立場の違ういろんな個性を、どういう風にまとめていくかっていうところに、苦労とか困難出てくるんだよね。過ぎてしまえば皆楽しいと思うんだけどね。そんな中でうちの奥さんがよく言うんだけど、私が夜唸っていたとか。そういう風に言われてたりもしたので、いろんな意見多様な意見があったりして、1つにまとめるという作業は難しい面があるんじゃないかなと思います。やっぱり人生はたのくるしいんだよね。

――それこそが、教育の面白さなのかもしれませんね。

 子供の数が減ると、学校を減らした方が良いという意見も当然ある。けど、学校潰すんじゃねーよっていう風にも思うんですよ。当然利害対立が生じます。そういうことを調整していくのが大きな大きな課題ですし、それにぶち当たるんですよね。頭の中ではわかっているけれども、やはり感情が納得できないとか。感情的にはわかるけど、頭の中ではあまりわからないとか。人間って理屈の部分と心の部分があるので、両方やりながら如何に調整していくか。これは大事なことですね。

 一般的には、学校の先生は学校の先生の中だけで生きてきてしまうところがあるので、外の世界を知らない事があるんですよね。それはそれで私はいいと思うんです。外の世界を知ってしまうと理想的なことを言えなくなってしまうことも多々あるから、多少現実離れしていてもいいのかなとも思うんですよね。もちろんそれはバランスを考えなければならないと、社会に対応できないですけどね。学校のもっている固有の難しさがあります。

――先生方をまとめるに当たって、杉山先生自身が大切にしていることは何ですか?

 3つあって。1つは、目標の共通化です。やはりそれぞれ個性があるんだけど、みんなのボールを蹴っている方向が一致せず、思い思いのことをしていると、統一感がなくなってくる。そこで、目標の共有化は大事にしています。2つ目は、情報がよく流れていることです。情報が遮断されているんじゃなくて、組織の中でもお互い情報がよく流れているということです。このことはあなたに教えないとかそういう事はなくて、全部オープンにしていく。3つ目は、理屈を超えた一体感を大事にしています。We feelingというか、大変だけどみんな頑張ってんじゃん!っていう空気感というかね。目標の共有化、情報のよく流れていることや、一体感の醸成っていうのはどの組織であっても大事なことのような気がしますね。

 理屈を超えた一体感っていうのをもう少しかみ砕くと、目標の共有化っていうのは、割と理知的・理論的なものでしょ。情報が流れているのは手段的なもの。一体感の醸成というのは、感覚の問題なので、なんか一緒にやっているぜっていうかね。ラグビーのチームがうぅぅぅって動いているというかね。言葉で表せないような。苦しいことはあったけど、みんなよかったじゃん、頑張ったじゃないか!という無条件にね、例えばイベント後に達成感を共有するようなね。成功させるためには、自分たちがどこに向かっているかという目標を明確にしてさ、記念祭を進めていく組織の中で、情報を流していけば、いろんなところでいろんな人が判断できるし、それから、途中上手く工夫しながらさ、イベントを作ったりね。終わった時にみんなで「俺たち頑張ったな!」みたいに、みんなで共有できる雰囲気が大事かなと思っています。

 その点、校長の仕事ってあまり見えないですよね。生徒から見れば、先生の仕事として「社会」を教えるって見えると思うんだけどね。武蔵の先生たち・保護者の皆さん、もちろん生徒も含めて、みんながやる気になってもらって。同じ目標のもとに情報が流れて、ひとり一人の個性を活かしながら、全体的な力を挙げていくっていうマネジメントができればと思っています。

――課題や不満にぶつかった時に、杉山先生ならどうしますか?

 それは2つやることがあるんですよね。1つは少しの間さっぽっとくんですよ。つまり放っておく。一晩寝たりすると見えてきたりするんだよね。あんまりググって入っちゃうと、逆にドツボにハマってしまうことがあるんですよね。

 「耐えがたきを耐え、忍び難きを忍ぶ」という言葉が有名ですが、『敗戦の詔勅』を書いた安岡正篤という人がいますね。彼が物を考えるときに3つの原則(思考の三原則)があるとして、こう言っています。

長い目で見ろ
一面的なものに捉えるんじゃなくて、多面的にみなさい
枝葉末節に囚われるんじゃなくて、本質的に根源的にみなさい

 大体上手くいかないときってね、短い目先のことだったり、一面的だったり、枝葉末節にものを考えちゃっている。だから、一晩くらいぼーっとして考えていると、大したことないんじゃないかって。

色々多面的にも見れたりね。ピンチになったときに、その全体として、ちょっとのめりこんでしまうときはフッと抜いてっていうのが大事かなと。

 もう一つはね、ピンチはチャンスっていつも思っていて。ピンチになったときにはピンチになったらイヤだなって人間思うけど、世の中って上手くいかないことだらけなんだよね。だから、上手くいかないときこそ、チャンスだって思っているととてもいいと思います。そんな風に考えているから、さっき言った通り、放っておくと同時に、チャンスチャンス!と考えてみる。そういう手法が身についています。

――座右の銘はありますか?

 身の回りにいた先輩から教えてもらったことは、パワハラみたいにはいわれなかったけど、アドバイスをたくさんもらって。それが血となり肉となりってことはいっっっぱいあるしね。ピンチはチャンスなんかも先輩からかけてもらった言葉ですね。その通りだなって思ったんですよね。

 座右の銘をあげるとすればね、一日一生だと思います。比叡山延暦寺の天台宗は荒行なんだけど、千日大回峰っていうんで、千日間、毎日山を歩き回って修行するというのがあるんです。本当に苦痛で、山を歩き回る以外にも飲まず食わずで御堂に入るとかね。生涯の間で2回やったという大阿闍梨・酒井雄哉という方が示した言葉なんですね。山中を毎日100キロくらいずーっと歩くところで、草履がボロボロになってしまう。夜になるとそれを取り替えて、次の日、新しい草履を履く。人間の一生ってのは、朝生まれて夜終わって、そこで一回おしまい。そして、新しい人生が、また、始まる。一日一日と終わってしまうのだから、くよくよせず引きずらない。次の日はまた、新しい一日が生まれる。

 私なんかもあーすればよかった、こうすればよかったって思うことはしょっちゅうあるんですけど、引きずらない。一生懸命やったんだから、いいじゃないか!って思って、次の日は0から。頭の中にそういうのがあると、相手を見るにしても、先入観をもっちゃったりするんだよね。そうじゃなくて、昨日あったことは昨日でおしまい、今日は全く0から。ケンカなんかしちゃうと、次の日話しづらいってこともあるじゃないですか。けど、全く気にせず、翌日「こんにちは」なんて声かけると、昨日はなんだったんだって話になってくるよね。それから一日一生と同時に一日一笑。これは大事ですね。「一日ひと笑い」ということでもあるので、笑う門には福来るともいいますから、心掛けていることではあります。

インタビューを終えて……

 一日一生の精神を胸に、日々コミュニケ―ションを図りながら教育をし、未来を拓く。お話を伺う中でもこれを貫いている姿がとても印象的でした。ピンチはチャンスという言葉にも現れますが、それほど後のことを気にしすぎず、思い切ってやってみようという姿勢は大変刺激的なものです。

 グローバルに活躍することを目指すために、「思い切って前へ、もっと先へ」をスローガンに、グローバル活動を率先して行っているとのお話もしていただきました。
 そのインタビュー記事も今後更新予定です。ご期待ください。