【杉山先生】意外と知られていない趣味・特技の話

武蔵の先生方は多趣味だ。皆さん一度は在学中に聞き覚えがあるのではないでしょうか?

何かと生徒の雑談に付き合ってくださる中で、接点が少ない先生のお話ってなかなか聞けないですよね。ちょっとプライベートな部分も交えながら、杉山先生に趣味・特技について、そしてイマドキな文化について伺いました。

共通点は、「キモチいいー!」だそうです。

趣味は映画と油絵

――杉山先生の趣味や特技についてざっくばらんに教えてください。

 中学生の頃からずっと好きなことは映画を観ること。これは変わらないね。今はなくなっちゃったけど、武蔵の近くには「江古田文化」っていう映画館があったし、池袋には「文芸座」、その地下には「文芸地下」っていうのがあって。今はいろいろと自由にビデオをレンタルできて、観たいものを観れる時代になったけど、昔は名画座っていうのがあって、学校の帰りによく観に行きましたね。それも2本立てで300円。昔の映画はロードショーじゃなくて、ちょっと時間のかかった”落ちた”映画を良く観に行くんだよね。 それは今思ってみると生涯変わらずその時々、いまはシネコンみたいな感じで観に行くけど。必ず観ていますね。

――どんな映画がお好きですか?

 よく聞かれるけど、恥ずかしくって普段はあまり答えられないんですよ笑 

 中学時代に観た映画がベスト1であるということが恥ずかしいんですよね。『サウンドオブミュージック』と言うミュージカルなんだけど、アカデミー賞を取っているんだよね。ジュリー・アンドリュースというとっても歌が上手い人がやっているやつで、ナチスドイツに支配されたオーストリアを舞台として、そこで厳格なトラップ大佐と七人の子供がいて、奥さんがいないんだよね。そこで家庭教師としてきたマリアという1人の女性が子供たちと一緒に過ごし、そしてドイツ・ヒトラーに支配されたオーストリアだったんだけど、自分の国が独立しようとする中で大佐と一緒に国を出ていくというお話なんだよね。そんな壮大な時代背景を元にしたミュージカルなんだけど、笑われるけど、それが今でも好きですね。

――他にも趣味はあるのでしょうか?

 もう一つ趣味というと、絵を書こうと思ったのね、油絵。60歳になった時に「六十の手習い」ということで油絵教室に通い始めて、やる気になって。なぜかというと、絵を観たりするのも好きだけど、絵を自分で描くということを今までしたことがなかったんだよね。

 実は武蔵にいるときは音楽選択でした。音楽の授業が一番ラクだったんですよ。梶取先生の前の泉先生という方だったんだけど、1年間ベートーベンの歴史を学びながらベートーベンの交響曲をたくさん聴く。武蔵らしいと言うか、それはそれですごく勉強になったし楽しかったし。ベートーベンについてすごく詳しいんですよ。それは良かったんだけど、美術を取りたいという気持ちもあったんだよね。

  だけど、10代の頃はコンプレックスを持っているもので。(授業の)最初には、2人ペアで相手の顔を書くという課題があったんです。今でこそなんでそういう風に思うんだろうと考えるけど、 自分の容姿にコンプレックスを持っていると、それが嫌で。鼻が少し大きいなあとかね笑 60歳になって改めて考えてみたときに、やっぱりやってみたいなあって思い始めて、デッサンから入って油絵を今書き始めている。とっても楽しいですよ。風景画を書いているんだけど、これを趣味にしていきたいなと考えています。

――特技についてはいかがですか?

 特技というか、スポーツはバレーをやっていたりスキーをやっていたりもするんだけど、自分でいうのもなんですが、が上手いと思うんですよ。武蔵時代もフォークソングというバンドを組んでいたりもしたんだけどね。合唱団をやったこともあって、ベートーベンの『第九』やモーツァルトの『レクイエム』とか、そういうのを歌ったりね。今は忙しくてやめてしまったのだけど。カラオケなんかはね、結構好きでよく行きますね。 

 バンドを組んでいた時も歌は歌っていたよ。あの頃のミュージックシーンっていうのは遠い話だと思うんだけど、ビートルズの次の世代なんだよね。バンドでいうと、レッドツェッペリンやディープパープルとか、クイーンの少し前だね。そういうのをやっているのはね、かっこいいっていうか、ハジけているやつはそういうのをよくやるんだよ笑 私はそこまではできなくてね。「武蔵フォーク村」というのを作って、当時のチューリップとかかぐや姫とかそういうのが人気な中で、ウェイトっていう誰も知らないようなバンドのコピーをしたりオリジナルを作ったりして記念祭で発表をしていました。 

――「自らを表現する」ということには興味があったんですね。

 やっぱりキモチいいんだよね。 歌うと気持ちいいっていうのもあるしね。武蔵時代は女子高生と接するいいチャンスになるかな、っていうそんな気持ちもひょっとしたらあったんでしょうね。その後バンドを組むようなこともなかったけれど、合唱行ったりカラオケをやったり。コンサートには歳をとってもよく行っていますね、色々とね。浜田省吾(浜省)っていう人がいてね。浜省が変わらずコンサートを60過ぎてもやっていてね。ストレス解消になりますね。 

杉山先生の芸術観

――芸術に触れている時間が多いことが少し意外でしたが、スポーツに対してどんな思いがあるんですか?

 武蔵時代はバレー部だったけど、部員があんまりいなかったから下手っぴだったね。出ると負けてばっかりだったんだけど、続けていくとやっぱりいいこともあって。将来社会に出ると、職場で必ずバレーボール大会みたいなのがあるんだよね、どの職場に行っても。そこでレクリエーション大会としてバレーをやったりするんだよ。そうなるとやっぱり花形というか、非常に活躍することができる。一番思い出にあるのは埼玉県庁に勤めていた時に、県庁内で昼休みを利用したバレーボール大会があって。 私の所属していた課が、トーナメントで快進撃をしていて、そこで6つぐらい勝って準優勝したんだよね。その時は9人制でセンタープレイヤーだった。何か色々やっているとそういうものがいろいろ入ってくるのかもしれないね。そういう点で体を動かすことも好きですね。

――僕も音楽の趣味があるのですが、表現することが楽しいなと強く感じています。杉山先生が仰る趣味の中で、共通することってどのようなことでしょうか?

 表現することが楽しいと言ってくれたのはその通りで、何かを表現するということが「キモチいいー!」っていう感覚なんだよね。体を動かしてキモチいいだとか声を出してキモチいいだとか。映画を色々観ていてグッとくるだとか。そしてもう一つ共通するところは、みんながその感覚を共有しているところだと思うんだよね。例えば音楽だとしてもセッションの時に、お互いの音楽が噛み合って「キモチいいー!」だとか、絵画にしても作者と鑑賞者が感情を合わせるというか。テクニック的なものも実際あるんだけど、世代や国籍を超えて友達になれるというような感じが芸術には間違いなくもちろんスポーツにもある気がしますね。

――自分が表現することだけでも楽しいと感じることがありますし、感情が伝わることで得られる喜びもありますよね。

 全くそうだよね。自分も楽しいしそれが相手に伝わると共振するから、お互いにうわーっ!ってなるよね。まさにコンサートなんかそういう空間になっていくし。それがお互いに伝わって感じ合うところに芸術やスポーツの良さを感じますね。

 スポーツでいうと、浦和にいた時にはちょっとした縁で高体連(高校体育連盟)の会長をやっていたんだよね。インターハイに毎年行って行進したり、それからいろんな競技を見に行ったり。いろんな生徒といろんな先生たちと話をしたんだけれども、スポーツも同じところがあってね。練習も大変だけど、やっぱりキモチいいー!っていうのがあって。記録が出て、だとか。一生懸命やっている姿を見ている人たちも、やっぱり気持ちで感じる部分があると思うね。今指摘してくれた部分は文化スポーツに限らず共通してあるような気がしますね。 

イマドキな文化との接点

――人と何かを共有するオフラインでの繋がりについては幅広く享受してらっしゃる一方、現代のオンラインの文化、例えばゲームやYouTubeについては興味がありますか?

 やっぱりその辺は考え方が古いんだよね。私も子供が3人いるけど、若い世代はすごいよ、どんどんと。 Instagram をどんどんあげたりだとか、YouTubeだったりとかオンラインゲームだったりとかさ。 LINEとかは引き込まれるからやらざるを得ないけど。Facebookは一応やったけど、立場上、注意深くやらなきゃいけないなという風にも思っているから今は一切やっていない。Twitterは一応アカウントを持っているのだけど、あんまりはしゃがないようにしています。若い人たちのことを見ているとね、自由にパってやるから、こんな風に(Zoomで)話をしているのもそうだけど、すごいなあというか、もう教わりながらやっているような。ただただすごいなーと思います。

 一方で、オンラインゲームは、きっとやり始めたら多分止められないのかなって気もするんですよね。その中で、昔と今のやっぱりコミュニケーションの取り方ですごく変わってきているんだよね。若い人たちの感性と私の中の感性はちょっと違うのかもしれないし。 羨ましいなあと思う部分もあるし、違うなあと思う部分もある。例えば、昔は彼女ができて電話をしなくちゃきゃいけないってなった時に、家の電話しかないわけですよ。そうすると、家に電話したら大体お父さんが出てきて、

「…もしもし。杉山です。」

警戒されているのは分かるんだけど、

「…お嬢さんに、つないでいただけますか?」

というような形で、ひとつひとつバリアを突破しなきゃいけないっていうような感覚だった。けど今は自由につながるでしょう。だから子供が何をやっているだとかそういうことは、お父さんお母さんは全くわからないままつながっちゃう。 そこも大きな違いがある。

 自分が自由に意見を発信するっていう時に、新聞社の投稿という欄があって、投書欄があるよね。私も載ったことがあるんだけど、結構チェックされるんですよ。見出しなんかをね、新聞社の方で付けさせてくださいというような形で制限があるんだよ。公共の視点からチェックを受けたものが発信されている。今はそうじゃなくて、パッとテュルっとあがっちゃって。それが、良くも悪くも、パッと広がっちゃって。平気なのか?フェイクじゃないのか?というところもあるけれども。 発信の気楽さは、昔に比べるとだいぶ状況が違う。情報伝達の手段だけは大きく変わったなという意識があります。若い人たちが自由に使いこなしているのに対して、そうなりたいなと思うことと、いやまだ俺は古い世代だなと思う部分もあります。 ただ本当に、流れている情報に対する判断力は昔以上に必要な時代になっていますね。

――世代毎に大きなギャップがある問題ですよね。分かり合えない問題ではないのかもしれませんが、杉山先生ご自身はどのように感じていますか?

 武蔵在学時代に加藤かん先生という先生がいて、「俺は家にテレビがない。テレビなんか要らない」と。プロ野球なんかが盛んになってくると、先生方もテレビで試合を見たりするんだよね。その先生は、実際に見に行くというポリシーがあったんだね。時代の流れの中で、だんだんと情報が自由に行き来できて発信できるようになってきて、今まさにライブ感というか体験・体感というか。実際にその場にいると、ビビビッとくるものがあるけども、それがだいぶ変わってきているよね。文字なんかではまだその体感がないんだけど、Zoomなんかで話をしていると、その中間領域で多少体感できるみたいなものがあるんだけど。でもそれでも本当に解決し得るかっていうと、やっぱり目の前の接触だとか目の前の温もりだとかはずっと残るだろうし。その点がたくさんある中で生きてきた人間と、全くないところで生きてきている人間っていうのは、微妙に感性というか温もり感というのがちょっと違うかもしれないね。

  ツール自体はものすごく便利なので、ライブ感を我々が伝え合えるかっていうところは、世界を越えて年代を越えて大きな人類の課題なのかもしれない。その反面で今の若者と昔の若者というのはほとんど変わっていないと思う。10代の頃に考えていることなんて大して変わりはない、そう思うんだよね。自分のことで悩んだり、異性のことで悩んだり。そんなことは変わらないね。情報伝達のツールは変わってきているので、そこは大いに自覚して繋がり合うだとか Face to Face の場所を設けるとか、そういうことをしていく必要があるのかもしれない。人間だって所詮触れたいって感じる動物だったりもするからね。

  武蔵という学校は、まさにそういうことは大切にしてきたところだけど、よりそのペースを視覚化して行かなきゃいけないなって思う。 若い世代は本当にうまくツールを使いこなしているから、ついていけないですよ笑