未知に充ち満ちた道〜東大での一年間を振り返って

0.はじめに

 こんにちは。93期の山下陽一郎です。本稿は、東京大学(以下、東大)へ進学し、駒場キャンパスで一年間を過ごした一卒業生の目から見た東大の姿を赤裸々に描いたものです。僕個人の経験に基づいた偏見も多く混じっていますので、文責の所在を明らかにするためにも名前を出して書こうと思います。

 「世代間を超えた情報共有」を目的として今回の話をいただきました。本稿が後輩の皆さん、特に受験を前にして東大に進もうか迷っている方々や東大が実際にはどういう雰囲気のところなのかを知りたい方々にとって、有益な情報のひとかけらとなれば幸いです。

1.東大の概要

 大きなキャンパスは駒場と本郷と柏の3ヶ所にある。一年生は全員駒場キャンパスに通う。2020年4月現在の総長である五神真先生は武蔵の卒業生である。

2.駒場キャンパスについて

 京王井の頭線で渋谷から二駅の駒場東大前駅の目の前に駒場キャンパスは位置している。駅は文字通りキャンパスの目と鼻の先でありとても便利である。他の〜前駅と名のつく駅は見習ってほしい。

 駒場キャンパスに設置されているのは教養学部と理学部数学科のみで、他の学部は本郷キャンパスなので、駒場は本郷に比して小規模のキャンパスである。2年の夏までは全員が駒場に通い、2年の夏の進学選択後、各学部の専門的な授業を受け始めるようになると、本郷に通う人が多くなる。

 さすがに国から一番お金をもらっている大学なだけあって、やはりキャンパス内はとても綺麗で整備が行き届いており、ありとあらゆる施設が充実している、というのは幻想である。その実は、硬い椅子に空調の効かない教室、学内Wi-Fiがよく届かない建物、机と椅子が密集している図書館など、目を覆いたくなるような場所も多い(実際、図書館入口に掲示されている「ご提案への回答」の多くには「予算の都合上、実現は難しい」と書かれている)。ただ、実験設備などは一方で充実しており、例えばfMRIなどの恵まれた設備は間違いなく多い。

 要するに、駒場キャンパスは、「赤門がなくて、安田講堂もなくて、圧倒的な歴史と伝統に裏打ちされた学問の雰囲気が漂う本郷キャンパスじゃない方」と言えるだろう。

3.東大の科類と進学選択

 東大が他の大学と決定的に異なる点は何と言っても進学選択の制度だろう。一般に「進振り」と呼ばれることが多いので、本稿でも以下そのように呼ぶことにする。

 入学試験に合格し駒場に通うことになった東大生は教養学部前期課程の文科一類から理科三類のいづれかの科類に所属することになる。そして、2年の夏の進振りにおいて、自らの関心に応じて、2年の秋以降にどの学部に入って専門的な学問をするかを選ぶことになる。それぞれの科類には進振りの際に特に進みやすい学部が存在し、それは以下の通りである。

科類文科一類文科二類文科三類理科一類理科二類理科三類
学部法学部経済学部文学部
教育学部
工学部
理学部
農学部
薬学部
医学部

 ただし、多くの学科には(文理をまたいで)どの科類からでも進める枠が用意されている。これが進振りの大きなメリットである。すなわち、入学前に大学での専門を具体的に決める必要がなく、一年半実際に大学の授業を受けてから自分の専門を選ぶことができ、モラトリアムが伸びるということである。

 ここまで読み進められた皆さんは、進振りがとても魅力的な制度に思えるだろう。しかし一方でデメリットもあるように感じられる。

 第一に、高校卒業時に具体的に学びたい学問分野がはっきりしている人にとっては、進振りまでの期間は専門的な授業を受ける機会が少なく、興味のない分野まで学ばなければならないのは苦痛かもしれない。僕の周囲にもそのようにこぼす友人がいる。

 そして第二に、進振りは駒場での一年半の成績が良い人から希望が通るので、各学部の用意した枠をめぐって成績で争わなければならない。大学の成績は担当教員の裁量によるところが大きい上に、点数的に大きなウェイトを占める必修の授業では教員を選ぶ事ができないので、進振りのことを「内申点が10割の入試」と揶揄する人もいる。進振りの点数稼ぎのために楽単の科目を調べ、逆評定なる冊子をどの教科書よりも真剣に読み込み、時には興味のある授業よりも点数を取りやすいと噂される授業を優先し、0.1点単位での点数の上下に一喜一憂しなければならないとき、何とも言えない無力感を覚える、「こんな事をするために東大に入ったのか」と。このような意識を恐らく多くの学生に持たせてしまうことは、進振りの大きなデメリットの一つである。

 個人的な思いをここで述べると、東大に入るまでは僕は進振りの魅力的な面のみしか見えておらず、大学に入ってからは大学受験の延長戦とも言える競争の激しさにうんざりした。しかし、僕が大学進学前に自分が専門としたいことを全く決められていなかったのは事実であり、進振りのおかげで大学に入ってから幅広い選択肢が新たに見えるようになったのは間違いない。高校在学中には考えもしなかった選択肢が頭の中に浮かんでくるのは、確実に進振りの大きな魅力の一つであり、総合して考えると、僕は進振りの恩恵を享受している側の人間だと思う。

4.クラス制度について

 東大に入る新入生は1クラスあたり30人程度のクラスに所属することになる。クラス分けは科類と第二外国語(以下、二外)に応じて行われる。基本的にはクラスメートは自分と同じ二外を学ぶ同じ科類の学生であるが、人数の都合で文一と文二、理二と理三は一緒のクラスにまとめられる。

 東大に入った直後の4月の頭に、同じクラスの二年生になった先輩(上クラと呼ばれる)が新入生を引き連れて「オリ合宿」と呼ばれる宿泊イベントを企画する。こういったイベントのおかげで、東大におけるクラス内の結びつきは強い。クラスメイトの中には、言語をはじめとする必修の授業を一緒に受けるだけでなく、五月祭や駒場祭での出店を通じて仲良くなる人が多い。ただ、実情としては仲の悪さが顕在化して雰囲気が悪くなってしまうクラスもあるようだ。

5.授業について

 必修の授業とそうでない授業があるが、どの授業にも共通して言えるのは、先生が皆とても実力があるということである。大学で研究と教育を生業にしているだけのことはあり、学問に対する姿勢が非常に真摯であるように感ぜられる。質問しに行っても丁寧に答えてくださるし、仮に講義中に先生の分からない事があっても、ほとんどの場合は次の週には解答を示してくださる。

 このように、研究の最先端で活躍する現役の研究者である先生の講義を思いのままに受講できる環境は非常に恵まれている。世界でこの分野について研究している人は一人しかいない、というような内容の授業を、その本人から直接教えてもらえる事がどれほど刺激的であるかは論を俟たない。

 ただ、一方でどの先生も教えるのが上手だというわけではないのは事実だ。研究と教育は全く別のものであり、その両立の難しさを実感する。(その分、教育にも熱心で授業もわかりやすい先生には脱帽する事しきりである。)

 これはとても重要な事だが、大学に入ってからの勉強は授業に頼るだけではいけない。すなわち、学校で授業を受け、放課後には塾の分かりやすい授業を聞いて詰め込まれるという高校時代の学習方法は大学では不可能だということである。自分で本を選んで勉強し、自分が納得するまで積み上げていくことになるわけだが、これは慣れていないと難しい事である。そつなくこなしていく周りの優秀な学生を横にしながら、自分も負けじと取り組んでいく必要があるように思う。

 さてここからは僕の体験をもとに具体的な授業について見ていこう。

 (特に理系の)一年生は必修の授業がとても多い。全学生が必修として二外の授業を取らなければならないからだ。(教養学部前期課程が駒場短期外国語大学とも揶揄される所以である。)語学の進度も速く、武蔵の二外とは比較にならない速さで授業が進む。僕のドイツ語の先生は、ちょうど僕たちの授業の間、NHKラジオのまいにちドイツ語で講師をするほどの先生で、授業は非常に刺激的だった。

 もちろん数学や理科の授業も同様に多く、少なくとも僕にとっては難しいと感じる授業もあった。ちなみに、一年生の必修の授業はほとんどが物理で(力学・熱力学・電磁気学)、化学や生物の授業はほとんどない。

 必修の授業の他に、各自の興味に合わせて自由に選択できる授業も数多くあり、自らの知的好奇心の赴くままに授業を選択する事ができる。僕がもともと好きだった『三国志』に関しての専門的な授業やインドネシア語の授業などを選択したが、どちらもとても面白かった。このように、理科一類に所属していても文理の別を問わずに一流の先生の授業を選択できるのは恵まれている。

6.低い女子率

 東大には女子が少ない。特に工学部では12%もいない。この事を頭に入れておいていただきたい。The New York Timesでも批判されている事だが、学問だけを考えるのであれば本来は非本質的な差であるはずの男女の別が、学内の大きく偏った男女比により、何らかの価値を付与されて解釈されることが極めて多い。「男子だから」「女子だから」というあまりに前時代的な二項対立が今でも学内では大きな意味づけをされているのは悲しい現実である。僕自身も武蔵にいる間に性に対してほとんど意識的になれていなかった事を反省することが多い一年だった。

7.交友関係

 大学に入って幸せだと感じたことの一つは、様々な人と出会えたことである。僕も「武蔵にはいろんな奴がいる」と思っていた時はあったが、高校までの交友関係などは所詮狭く限られたものに過ぎない。すなわち、武蔵で出会う同級生はほぼ全員が、都内の中高一貫の男子校に通い平均以上の経済力を持つ親の息子、という似た状況に置かれているということだ。しかし、大学には高校よりも多様な学生が在籍している。異性がいる、などの分かりやすい違いに加え、学生の出身地も全国に、いや世界中に散らばっており、家庭の状況も実に多種多様である。高校時代には、他の学校に通う同世代の人々をほとんど意識していなかった。いわば井の中の蛙に過ぎなかったのだ。

 実は、僕のクラスは他のクラスとは大分環境が異なっている。というのも、普通のクラスでは、その二外を初めて勉強し始める人が集められるわけであるが、僕のクラスは、ドイツ語・フランス語・中国語をある程度勉強した事がある人を中心としたクラスなのである。クラスメイトには地元から遠く離れて上京してきて一人暮らしをしている人や、海外に長く住んでおり精神的なふるさとが日本でない人など、僕たちとはあまりにかけ離れた環境に身を置いている人が多い。

 さらに、僕のクラスは世代間の絆が非常に強く、数年年上の先輩とも親しくなる事ができた。(これは他のクラスでは到底考えられない事である。) クラスを通じてまったく異質な人々と出会って言葉を交わす中で、自分の考えの浅はかさや価値観の偏りを感じさせられる事はとても多かった。

8.海外留学

 半年や一年という長期のものも含めて、東大から海外への留学プログラムはたくさんある。学部ごとのものから全学的なものまでたくさんの種類がある。

 また、PEAKと呼ばれるコースでは海外からの留学生を多数受け入れており、授業や課外活動を通じて仲良くなった留学生もいる。ある授業で、東大の大学院に留学に来ている複数人の中国からの留学生と一緒に議論する機会があったが、全員がとても優秀で、外国語である日本語を完璧に使いこなして堂々と議論する彼らの姿は憧れられるものだった。

 個人的には一年の終わりの冬休みに2週間、ドイツのベルリンに研修する機会があった。武蔵の国外研修でもベルリンに2ヶ月滞在していたが、今回の研修はまた違った経験が得られた。このプログラムでは、東大の1・2年生が14人、ベルリン自由大学の授業を受けに行くというコースだった。付き添いとして東大の教授も二人同行した。

 このプログラムでは、ジェンダーとドイツ文化について考えるというのがテーマだったが、滞在中には「東大の学生として来ているからこそできる経験」を感じる場面が多くあった。例えば、一般には非公開の場所に入れたり、特別な予約なしには会えない人に会えたりということである。未知なる環境下に身を置いて自分一人の力で道を切り拓くのが武蔵の国外研修だとすれば、今回の研修はそれとは全く違った強みを持っていたと思う。

9.終わりに

 最後までお読みになった皆さんの目には、果たしてどのような東大の姿が見えていますでしょうか。冒頭にも述べたとおり、本稿は武蔵の一卒業生の偏見に過ぎません。何事も自分の目で見て感じた事が一番です。本稿が皆さんにとって、東大にどこか興味を持つきっかけになれば幸甚です。

 東大でのこの一年間では、大きな環境の変化に戸惑いながらもたくさんの人と新たに出会い、未知に充ち満ちた道を歩んでいた気がします。この曲がりくねった道がどこに繋がっているのかは今の僕にはまだ見えていませんが、これからも一歩ずつ歩みを進めていきたいです。

 また、運営の皆さんは恐らく企画の大分早い段階で僕に話を持ってきてくれたのではと思うのですが、僕の怠惰さゆえに原稿の提出がひどく遅れてしまいました。申し訳ない思いでいっぱいです。O君、R君、ごめんなさい。