芸大生変人説の考察と授業の紹介

0.はじめに

 こんにちは。中川瑠以と申します。大学は東京芸術大学の音楽環境創造科に通っていて、いま1年生です。この文章では学校のことについて紹介しようと思うのですが、その前に少し私のことを書いておきます。私は、中学3年生ぐらいのころからサックスでジャズの演奏をするようになり、中学高校では音楽部ブラスバンド班やジャズ班に参加し、学外でもそれなりに演奏などをするうちに、なんとなく音楽の道にいくのかな~、という感じで芸大に入りました。

 芸大といっても、皆さんがイメージするような毎日10時間練習!みたいな感じではなく、私の入った学科は、音楽にかかわる事を広く学べるようなところです。実をいうと受験当時は自分の進む道について確固とたるイメージなどはなく、音楽家になるかどうか迷っていたので、そんな私にとって音楽環境創造科はうってつけの学科でした。実際、私はいま音楽の創作からは離れていて、大学でもほとんど音楽的な訓練は受けていません。それでは、音楽環境創造科や芸大の内部のことについて紹介します。

1.学生

 私が芸大についてよくきかれることとしては「芸大の学生って変人ばっかじゃない?」というようなことです。でもよく考えるとこの質問はおかしな質問です。なぜなら、私も芸大生なのだから芸大生≒変人とするなら私も変人ということになり、私の判断基準は常人には信用できないものになるからです。まあこれは屁理屈ですが、実際こういう類の質問をされると私は、この質問が持っている「君は我々と同じだよね」という前提に少し困惑してしまうのです。私は自分が普通の人間だとは思いません。明らかに一般的とされている価値観や感性からは自分は離れているし、いわゆる普通な生活はしていないような気がします。かといって芸大生がどうか、というとまた話はかわってきて、私は芸大生のなかでも自分と似ている人間にはあまり会ったことがありません。どちらかといえば武蔵生の方が気が合う人が多い、という印象です。

 それでは、一般的な芸大生≒変人というイメージ(それは恐らく芸術家≒変人という芸術家像から来ているのだと思いますが)はどこから来ているのでしょうか。いま私のなかに二つの理由が浮かんでいて、それは「芸術家とかいう収入が不安定な職につくなんて頭のおかしいやつに違いない」「芸術は変わっていることが売りになる商売なんだから変人じゃなきゃ芸術家にはなれない」、というふたつの考えです。これらの考えはそこまで間違っているようにも感じませんが、殊芸大生に関しては当てはまらないような気がします。一つめについて、「収入が不安定」ということですが、そういうことまで考えて芸大生になる人はあんまりいません。大体の芸大生は自分で職業のことを考えられるような年齢になる前に、芸術の道に進むことは決定しているようなものです。これに反論する芸大生は多そうですが、親に職業選択自体を強制されたわけではないにせよ、親を含めた環境が幼い頃から相当芸術に向かうように整備されたものでなければ芸大に入るのは難しいのではないでしょうか。そして二つ目ですが、この考えは、変革にこそ価値があるとするモダニズムの思想を前提とした芸術家像が元になっています。これも、前述した、多くの芸大生は芸術家になることを自己決定していない、という問題ともかかわることですが、果たしてそういった芸術家像を目指して芸大に入る人がどのくらいいるのか、ということです。そして実際、芸大を卒業してそういう芸術家になる人はかなり少ないように思います。

 はい、というわけで芸大生は世間が思っている程変わっているわけではありません。私の基準なのであまりあてにはなりませんが。あと一つ書いておきたいのは、この話はどちらかというと音楽学部に偏っています。美術学部にもある程度当てはまるかと思いますが、音楽と美術では結構違う部分もあるのでそのような理解でお願いします。

2.授業、校風

 芸大の授業というより音楽環境創造科の授業の話になりますが、この学科には三つの専攻のようなものがありプロジェクトとよばれています。プロジェクトごとに分かれる授業は週に一回のゼミのようなもののみで、それ以外の授業は自由にとることができますが、一応すべての授業が三つのプロジェクトのどれかに分類されるような内容になっています。プロジェクトごとに属す研究室が決まっており、卒論などの内容やジャンルもそこで決まってくるのでプロジェクトの選択は非常に重要です。

 一つ目は、「創作」というプロジェクトで、読んで字のごとく音楽の創作をするプロジェクトで作曲がメインになります。作曲というと芸大には作曲科というのがありますが、そことの違いをあげるなら、作曲科は伝統的な西洋音楽のみを主に勉強するのに対し、音楽環境創造科の「創作」では幅広い音楽やメディアアート、その他様々なインスタレーションなどを創作している人がいて、音楽にかかわる芸術であれば好きなことを自由にできる、というようなところです。近年ではAIによる作曲の研究をしている人もいるなど、実験的な試みも多くなされているプロジェクトです。

 二つ目は、「アートプロデュース」というプロジェクトで、教授は二人属しているのですが、二人の研究分野はだいぶ異なります。簡単にいうなら、一人目はアートプロジェクトのプロデュース、二人目は文化社会学といったところです。アートプロジェクトという言葉は聴き慣れないかもしれませんが、芸術祭のようなものを思い浮かべてくだされば大体OKだと思います。(実際芸術祭はアートプロジェクトとは言わないそうですが、、)どちらの研究室もおおまかにいうと芸術と社会の関係に関する研究や経験を積める場になっています。

 三つめは、「音響」というプロジェクトで、音響学や音響心理録音設備の取り扱いなどについて学ぶプロジェクトです。音楽環境創造科のキャンパスには日本でも数本の指に入るようなレベルの音響設備があるらしく、(詳しいことはあまり知らない、、)実際の現場と同じような環境で録音などの経験が積めます。このプロジェクトに属する学生同士の会話はほんとに専門用語だらけでほとんど理解できません。

 私が一年やってきて特に印象に残った授業は「芸術運営論」という授業で、この授業では、charaというミリオンセラーも出しているようなミュージシャンのプロデュースをしていた方の講義や、トッパンホールというクラシック界では有名なホールのマネージャーをしている方の講義をきくことができて、貴重な経験になりました。

3.最後に

 この記事は、恐らく武蔵の卒業生やもしかしたら現役の武蔵生も見るかもしれないということなので、こんなことを書きますが、大学に入って初めて私は武蔵での出会いは貴重だったと思うようになりました。これは私が特にそうなのかもしれませんが、社会の中で自分と気の合う人と出会い、仲良くなるというのは容易なことではありません。武蔵生といってもいろんな人がいて全く一括りにはできないのですが、武蔵という一風変わった学校を選び、変わった入試をくぐりぬけ、武蔵の文化に多少なりとも染まった人間というのは、社会全体から見るとかなり偏っていて、希少な存在だと思います。武蔵の教育には全くと言っていいほど感謝していませんが、そうした希少な存在と出会えたことは武蔵に入ってよかったと思える理由の一つです。

 こんな考えなので、これからも武蔵の動機やOBとは交流を持ちたいと思っています。何か機会があったら、その時はよろしくお願いします。